日本の文化向上を願う
ひとりの女流茶人によってはじまりました

初代家元 森山宗江(大正3年~昭和45年)は九州日田の旧家に生まれ、幼少の頃より茶道の修行に励み、南坊流を極めました。求道の志深く、茶道に全生涯を捧げる決意をして上京、表千家流、不白流と研鑽を重ね、東都女流茶人として名を成しました。

昭和23年2月、戦後の荒廃した日本を目の当たりにし、この国の文化向上に尽くしたいとの理想を掲げて都茶道会を結成。研究会の開催、後進の育成に努め、外賓の方々を茶事、茶会に招じ日本文化の紹介に尽力します。その真摯な姿勢は各界の認めるところとなり、昭和24年5月3日、明治神宮献茶奉仕の命を受け、神宮宝前における女性として初めての大任を全うしました。

昭和25年11月、都茶道会後援者、社中一同のすすめにより都千家を創立して家元となります。以後、伝統を重んじつつ、時代にふさわしい茶道へと常に研鑽を怠らず、理想の達成に精進しました。

宗江の後、森山宗正が二代目家元を襲名。平成元年には台東区根岸より谷中へ茶室を移し(※)、都千家の発展につとめました。

平成23年、森山宗直が家元を襲名(平成15年に後見披露)。谷中教場を引き継ぎ現在に至ります。


※根岸の都千家茶室は福島県の広徳院という寺院に寄贈、移築され現在も存在しています。

初代家元 森山宗江

明治神宮大前にて
女流茶人初の献茶式の様子

大谷会長邸での野点の様子
(ホテルニューオータニ)

森山宗直による
谷中教場での初釜の様子